


放浪の天才画家。日本のゴッホと評され既成概念を打ち破った、新鮮な発想と構成、独特な技法と色彩感覚、少年の純真な心そのままに成人した素朴な画家がいます。身体に障害を抱えながら戦中戦後食糧難の時代を16年間(昭和15年~31年)全国各地を放浪しながら生きぬく事は、今日の我々には想像を絶する困難や苦労があったことでしょう。社会という枠にはまる事を拒み放浪しながら描いた彼の作品には、不思議と心温まる雰囲気が伝わってきます。一宿一飯のお礼に、心の赴くままに描いた旅先での作品は童画風な感性を醸し出してくれます。その絵の向こうに見えるモノクロの時代、経済優先で人間性損失の今日、時代の流れと共に置き去りにされてきた心の忘れ物をそっと届けてくれる一服の清涼感と郷愁が伝わってきます。「花」や「昆虫」、「花火」を清の瞳に映ったそのままに貼絵で描いた美の世界を心行くまでご鑑賞下さい。
山下清 略歴
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1922年(大正11年)
東京都浅草区田中町で大橋清治・ふじの長男として生まれた。
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1928年(昭和3年)6歳
清、浅草石浜小学校へ入学する。
この頃の「思い出の記」の中で「字を書くより絵をかく方が好きだった」と記している。
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1932年(昭和7年)10歳
父 清治死去。小学校4年生より知恵遅れが目立ち(知能指数68くらい)、
劣等感による反動的行動として盗みや喧嘩で人に怪我をさせる事もあった。
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1934年(昭和9年)12歳
杉並区和田堀の隣保館に収容された。
小学校5年生になった清はいじめにあい、刃物騒動を繰り返したため退学し、
千葉県市川市の八幡学園に収容された。
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1935年(昭和10年)13歳
学園で始めた手工芸「ちぎり紙細工」が後の貼絵画家としての第一歩となった。
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1940年(昭和15年)18歳
11月18日に突然、風呂敷包み1つで学園から姿を消してしまった。
以後、昭和31年まで16年間の放浪の旅の始まりとなった。
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1956年(昭和31年)34歳
16年間の放浪の旅に終止符を打った。
式場氏の指導により、陶磁器の絵付や、フェルトペンの素描画など新境地を開いた。
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1961年(昭和36年)39歳
式場氏と共にヨーロッパ旅行に出発。
40日間で10数か国をまわり、帰国後エッフェル塔や風景画を50数点制作。
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1965年(昭和40年)43歳
「清の東海道五十三次」の制作をライフワークとして始める。
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1968年(昭和43年)46歳
知人の長野県富士見市G氏の別荘に滞在中、諏訪湖の花火を見に行き多くの作品を残した。
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1971年(昭和46年)49歳
東京の自宅で「今年の花火はどこに行こうかな」の言葉を最後に、突然脳出血で倒れ、
7月12日、2度と戻らぬひとり旅に出た。
山下清 略歴
1922年(大正11年)
東京都浅草区田中町で大橋清治・ふじの長男として生まれた。
1928年(昭和3年)6歳
清、浅草石浜小学校へ入学する。
この頃の「思い出の記」の中で「字を書くより絵をかく方が好きだった」と記している。
1932年(昭和7年)10歳
父 清治死去。小学校4年生より知恵遅れが目立ち(知能指数68くらい)、
劣等感による反動的行動として盗みや喧嘩で人に怪我をさせる事もあった。
1934年(昭和9年)12歳
杉並区和田堀の隣保館に収容された。
小学校5年生になった清はいじめにあい、刃物騒動を繰り返したため退学し、
千葉県市川市の八幡学園に収容された。
1935年(昭和10年)13歳
学園で始めた手工芸「ちぎり紙細工」が後の貼絵画家としての第一歩となった。
1940年(昭和15年)18歳
11月18日に突然、風呂敷包み1つで学園から姿を消してしまった。
以後、昭和31年まで16年間の放浪の旅の始まりとなった。
1956年(昭和31年)34歳
16年間の放浪の旅に終止符を打った。
式場氏の指導により、陶磁器の絵付や、フェルトペンの素描画など新境地を開いた。
1961年(昭和36年)39歳
式場氏と共にヨーロッパ旅行に出発。
40日間で10数か国をまわり、帰国後エッフェル塔や風景画を50数点制作。
1965年(昭和40年)43歳
「清の東海道五十三次」の制作をライフワークとして始める。
1968年(昭和43年)46歳
知人の長野県富士見市G氏の別荘に滞在中、諏訪湖の花火を見に行き多くの作品を残した。
1971年(昭和46年)49歳
東京の自宅で「今年の花火はどこに行こうかな」の言葉を最後に、突然脳出血で倒れ、
7月12日、2度と戻らぬひとり旅に出た。
入館料金表
一般(大人)=700円
中・高校生=400円
4歳~小学生=250円
幼児=無料
身体障害者・団体割引あり

期間限定!共通入館チケット料金表
一般(大人)=通常:1,500円⇒1,000円
中・高校生=通常:900円⇒600円
4歳~小学生=通常:550円⇒400円
幼児=無料
※共通チケットは高山昭和館と古い町並美術館でお買い求めいただけます。


アクセス方法
古い町並み美術館 山下清原画展
岐阜県高山市下三之町1-19
0577-36-3124
営業時間:9:30~17:00 (16:40最終入場) 年中無休
※ 駐車場はございませんので、最寄の市営駐車場などをご利用下さい。
※ 館内に無料でご利用できるフリーWiFiがございます。
古い町並み美術館 山下清原画展
岐阜県高山市下三之町1-19
0577-36-3124
営業時間:9:30~17:00 (16:40最終入場) 年中無休
※ 駐車場はございませんので、最寄の市営駐車場などをご利用下さい。
※ 館内に無料でご利用できるフリーWiFiがございます。